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バルサとレアルでプレーした選手
選手 | 所属 |
---|---|
ルシアン・ミュラー(フランス) | レアル(1962-1965) バルサ(1965-1968) |
ベルント・シュスター(ドイツ) | バルサ(1980-1988) レアル(1988-1990) |
ミケル・ソレール(スペイン) | バルサ(1988-1991,1992-1993) レアル(1995-1996) |
ミカエル・ラウドルップ(デンマーク) | バルサ(1989-1994) レアル(1994-1996) |
ロベルト・プロシネチキ(クロアチア) | レアル(1991-1994) バルサ(1995-1996) |
ナンド・ムニョス(スペイン) | バルサ(1990–1992) レアル(1992–1996) |
ゲオルゲ・ハジ(ルーマニア) | レアル(1990-1992) バルサ(1994-1996) |
ルイス・ミジャ(スペイン) | バルサ(1984-1990) レアル(1990-1997) |
フレン・ロペテギ(スペイン) | レアル(1988-1991) バルサ(1994-1997) |
アルフォンソ・ペレス(スペイン) | レアル(1990-1995) バルサ(2000-2002) |
ダニ・ガルシア(スペイン) | レアル(1994-1998) バルサ(1999-2003) |
ルイス・エンリケ(スペイン) | レアル(1991-1996) バルサ(1996-2004) |
アルベルト・セラーデス(スペイン) | バルサ(1995-1999) レアル(2000-2005) |
ロナウド(ブラジル) | バルサ(1996-1997) レアル(2002-2007) |
ルイス・フィーゴ(ポルトガル) | バルサ(1995-2000) レアル(2000-2005) |
ハビエル・サビオラ(アルゼンチン) | バルサ(2001-2007) レアル(2007-2009) |
サミュエル・エトー(カメルーン) | レアル(1997-1999) バルサ(2004-2009) |
マルコス・アロンソ(スペイン) | レアル(2010) バルサ(2022-2024) |
バルサとレアルの両方でプレー経験のある主な選手を調べてまとめてみました。
上記は男性のサッカー選手のみの移籍例ですが、女性ではアリアナ・アリアスという選手がレアルからバルサへと移籍した例があります。
禁断の移籍
レアルからバルサ | バルサからレアル |
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ミュラー プロシネチキ ハジ ロペテギ ペレス ダニ・ガルシア Lエンリケ エトー アロンソ | シュスター ソレール ラウドルップ ナンド ミジャ セラーデス ロナウド フィーゴ サビオラ |
9人 | 9人 |
ライバルチームに直接移籍したのはミュラー、シュスター、ラウドルップ、ナンド、ミジャ、Lエンリケ、フィーゴの7選手。
プロシネチキ、ダニ・ガルシア、サビオラは移籍前に他チームへレンタルされていたため直接移籍には含めませんでした。
どれも禁断の移籍ですが、この中でも特に物議を醸したのは当時バルサのアイコンとして大活躍していたフィーゴの移籍。
中心だったけどベンチが増えるなど起用法が変わり移籍というパターンではなく、当時現在進行形で中心だったアイコンが移籍するという事態となり、フィーゴの移籍は最大級の衝撃を与えることになりました。
レアルとバルサの因縁の理由
両チームの特徴
FCバルセロナはカタルーニャ地方の主要都市、レアル・マドリードはスペインの首都マドリードを拠点としています。
カタルーニャ地方は独自の文化や言語を持ち、スペインの中央政府とは異なる歴史的背景があります。
その中でも、バルサは単なるサッカーチームという存在を超え、カタルーニャの文化やアイデンティティを象徴する存在として地域住民から特別な支持を受けています。
一方、レアルは首都クラブとしてスペインの中心的なイメージを持つことがあります。
このような文化・地域的な差異が両クラブのライバル関係に深みを与えています。
歴史的な背景
スペインの近現代史において政治的な変動が両クラブの関係に影響を与えた時期がありました。
特定の政治体制下において、一方のクラブが体制と結びついたと見なされる一方、もう一方のクラブが地域文化の象徴と見なされるといった現象が存在しています。
マドリーとバルサのライバル関係には、サッカー以外の歴史的な背景が絡んでいます。
ラ・リーガの双璧
FCバルセロナとレアル・マドリードは、スペイン国内リーグにおいて常に頂点を争う2強で、100年以上の歴史がある中で対戦成績もほぼ互角。
世界的にみても、両チーム共にトップ選手が集まる金銭的に成功を収めたチームであり、このトップレベルでの継続的な競争自体が自然なライバル意識を生み出しています。
エル・クラシコでのエピソード
ディ・ステファノの移籍劇
1953年、当時コロンビアのミジョナリオスに所属していたアルフレッド・ディ・ステファノは、FCバルセロナとレアル・マドリードの両クラブから獲得オファーを受けました。
バルサは移籍交渉で先行しディ・ステファノとの契約合意に達したと発表。しかし、レアルもミジョナリオスとの交渉を進め、最終的にディ・ステファノはレアルへ移籍しました。
バルサが獲得目前だった選手をライバルであるレアルに横取りされた形となり、両クラブ間の対立を激化させる象徴的な出来事となりました。
ディ・ステファノは圧倒的な活躍を見せレアルを黄金時代へと導く結果となり、バルサのファン達にとってディ・ステファノの活躍が、この移籍劇の苦い記憶をさらに増幅させるものとなりました。
ルイス・フィーゴの禁断の移籍
ポルトガル代表のルイス・フィーゴはバルサのキャプテンでありチームの象徴的な存在として活躍していました。
しかし、フィーゴは2000年夏に当時のサッカー史上最高額の移籍金で宿敵レアルへ移籍するという衝撃的な決断を下します。
当時のバルサの中心でチームの象徴がレアルに移籍するという前代未聞の出来事は、バルサファンに大きな屈辱感を与え激しい反発を引き起こしました。
フィーゴがレアルの選手として初めてバルサのホームスタジアムに凱旋したエル・クラシコでは、バルサファンから凄まじいブーイングが起こりピッチに多くの物が投げ込まれました。
この事件は世界中で話題となり、現在もエル・クラシコの激しさを象徴するシーンとなっています。
スタンディングオベーション
2005年にレアルのホームスタジアムで行われたエル・クラシコ。当時バルサの中心だったロナウジーニョが圧倒的なパフォーマンスを見せ、アウェイでバルサの選手がスタンディングオベーションを受けました。
1983年のエル・クラシコでは、マラドーナもレアルのホームでスタンディングオベーションを受けています。
さらに歴史を遡れば1980年のエル・クラシコでレアルの選手のローリー・カニンガムがバルサのホームでスタンディングオベーションを受けており、お互いのファンがライバルチームの選手でも素晴らしいプレーにはリスペクトを示す場面も稀に起こります。
メッシとロナウド
2009年から2018年まで、メッシとC・ロナウドというサッカー界を代表する2大スターが、それぞれバルセロナとレアル・マドリードに所属しエル・クラシコで直接対決を繰り広げました。
メッシとC・ロナウドは、それぞれのチームの象徴として、エル・クラシコだけではなく、バロンドールを始めとする個人タイトル、そしてチームタイトル獲得において激しい競走を演じました。
エル・クラシコは2人にとって数々の記録を更新する舞台ともなり、彼らの活躍はエル・クラシコのレベルを一段と引き上げ世界中のファンを魅了しました。
2010年にはジョゼ・モウリーニョがレアル・マドリードの監督に就任。当時バルセロナを率いていたジペップ・グアルディオラ監督との間で、激しい舌戦やピッチ内外での駆け引きが繰り広げられました。
メッシとC・ロナウド、ペップとモウリーニョ、当時の世界最高峰の選手と監督が両チームに揃い、この時代のエル・クラシコは、ピッチ内外で以前にも増して過熱し異様な緊張感に包まれていました。